2022.5.27
西ノ京 薬師寺
西ノ京は、かつての平城京の西側にあたるところです。
古くから西ノ京という呼び名がされていたようです。
かつては西大寺や喜光寺、唐招提寺、薬師寺と、大寺が並び栄えていました。
今は唐招提寺と薬師寺こそ残っていますが、多くは田畑や宅地となっています。
唐招提寺の南大門から南に路地が伸びています。
古い建物も残るこの路地をゆくと西ノ京を代表するもう一つの大寺、薬師寺に至ります。
この路地はいつも多くの観光客がいますが、通りの様子もとてもいい佇まいを残しています。
この辺りは、歴史的風土特別保存地域に指定されているようで、こうした佇まいが残されているのでしょう。
薬師寺を目指していると、その手前左手に立派な伽藍が見えてきました。
玄奘三蔵院伽藍です。
玄奘三蔵は孫悟空として知られていますが、7世紀に実在した中国の高僧です。
インドに赴きサンスクリット語の経典を中国に持ち帰り、それを翻訳し体系化したそうで、法相宗の始祖とされています。
この薬師寺と奈良の興福寺は法相宗の大本山で、1991年(平成3年)にこの伽藍が作られたそうです。
玄奘三蔵院伽藍の中心、玄奘塔です。
新しい伽藍ですが、不思議と歴史の重みを感じる伽藍でした。
玄奘三蔵院伽藍の南側に薬師寺のメインの境内となる白鳳伽藍があります。
その入り口の、與楽門です。
勿論、この門からも入れるのですが、まず境内の南にある休ヶ岡八幡宮に立ち寄る事にしました。
休ヶ岡八幡宮は薬師寺を守護する目的で、寛平年間(889~898)に宇佐八幡宮から勧請されたそうです。
観光客の多い薬師寺とは異なり、こちらはひっそりとしていましたが、古来より、薬師寺に詣でる際には、まずこの休ヶ岡八幡宮で身を清めてから、というのが作法になっているそうです。
休ヶ岡八幡宮の社殿は1603年(慶長8年)に建てられたものです。本殿の両側には脇殿もあります。
本殿の手前右の一段低い位置にある座小屋も本殿と同じ時期に建てられたそうです。
休ヶ岡八幡宮には三体の神様の像が祀られています。
平安時代のこれらの像は国宝に指定されています。
こうしていよいよ薬師寺の白鳳伽藍に足を踏み入れます。
薬師寺は天武天皇の発願で、692年(持統天皇6年)に建立された寺です。
元々は藤原京に建てられていましたが、平城京が開かれるのに伴い、この地に移ったそうです。
南門を挟み東西の塔が聳えています。
南門は室町時代の1512年(永正9年)に建てられたもので重要文化財に指定されています。
南門の近くから白鳳伽藍に入ると、回廊の向こうに東塔と西塔がそびえていました。
現代に残る白鳳の眺めです。
回廊は1984年に復元されています。
中門に立つ二天王像です。
発掘調査で、この中門に立つのは裸像の仁王ではなく、武装した二天王像と判ったそうです。
中門を抜けると堂々とした金堂が見えてきました。
この金堂も1528年(享禄元年)の兵火で焼け落ち、豊臣家が仮堂を建てましたが、その後、1976年(昭和51年)に白鳳様式のこのお堂が復興されています。
この金堂には薬師三尊像が置かれています。
薬師如来像、日光菩薩そして月光菩薩です。
お堂は兵火に焼け落ちたのですが、これらの仏像は白鳳時代のもので、国宝に指定されています。
金堂の手前、両側には東塔と西塔がそびえていました。
東塔は、唯一平城京に移された当時から残る建物です。
天平時代に、白鳳風の塔が建てられたという説と飛鳥の薬師寺から移築されたという説があるそうです。
端正のとれた姿は「凍れる音楽」とも言われているそうです。
二つの塔はどちらも6重に見えますが、2層目、4層目、そして6層目は裳階と呼ばれるもので、三重塔らしいのですが、三重塔とはいえ、東寺や興福寺、醍醐寺の五重塔に続いて日本で4番目の高さだそうです。
ちなみに西塔は1981年に復興されています。
東塔と同じ形式の塔ですが、将来、自重で変形することを考慮して、東塔よりも高く、また屋根の角度も浅く設計されています。
白鳳の姿を伝える建物が多い薬師寺ですが、創建以来の建物は東塔のみで、その他多くの建物がこの30年程で復興されているのは驚きです。